
MX / smc-m 50mmf1.7 / Fuji X-TRA400
「森山大道論」にアンダーワールドのカール・ハイドが寄稿しているようです。
帯になんだか思わせぶりなコメントが書いてあって、僕は読んでいないのですが。
各方面でアンダーワールドの音楽と森山大道の写真についての共通点みたいなものが読み取れる、ようなことが書かれているようで、そのキーワードこそ「アート」なんですが、カール・ハイド、俺はあんたにちょっと言いたいんだけど。
あのね、忘れもしない、アンダーワールドからダレン・エマーソンが脱退したこと。あの後から、アンダーワールドはことあるごとにアートアート言うようになったような気がするんだけど……正直、それっていまいちだったと思うんだよね。
今でもアンダーワールドの最盛期はボーン・スリッピーの頃だったと思う。ダレンがいなくなってから、出たアルバムにはがっかりしたし、何が足りないのかはすぐわかった。曲から一本、ボーン・スリッピーの頃にあったような太い「骨」が抜けたような気がしたんだ。
クラブミュージックであり、ダンスであり、フロアアンセムであり、ビート塊であったはずのアンダーワールドの音楽から、まったく、それらからなる「背骨」が抜けちまったんだと思った。どっかの音楽誌が「出がらし」って書いてたよね。あれ立ち読みして、笑っちゃった。ホント、ぴったりだと思ってしまって。失礼。
言っちゃうと、俺、ボーン・スリッピーのNUXXって最高だったと思うんだけど、その11分40秒の長い曲の中でなおさら最高だと思ってたのは、ボーカルが消えてからの約半分だったりして。
そう、カール、あんたのボーカルが消えてからの半分。
いや、カールの何か意味不明な「ラガラガ・メガメガ」とかいうボーカルが嫌いってんじゃないんだけど……あんたのTOMATOは嫌いだ。
何年か前、アンダーワールドがアートなんだって聞いて、TOMATOの展覧を見に行ったけど、あれは意味不明だったし、不快だった。不愉快で、むかついたよ。
何を言いたいかというと、DJだったダレン・エマーソンを失って、アンダーワールドはその肉体的・実体的部分を失ってしまったように、俺のような古いタイプのテクノ好きには見えた(聞こえた)わけです。
それ以来もCDを買ったり視聴したり、ライヴを見たりしたけど、結局、あの頃のボルテージはもうないと感じる。
今はアートなのかもしれないけど、あんたらの曲は10年前の方が良かったよ。10年前のアルバム、今聴いてもいかす曲が多いよ。
それがアート化して俺がついていけてないんだって証拠なら、俺にはアートなんていらないよ。
欲しいのは「骨」。アンダーワールドが失ったような気がする「骨」の部分なんだけど。
カールさん。そんなあんたのアートと森山大道の写真が似たもの同士ですか?
なんか違う気がするんですけど。それとも僕が間違ってんのかな。
「森山大道論」の、あなたの寄稿文を読めば納得するのかな。
……いや、ダメだなあ。
あの帯の文句からして違和感感じちゃうようじゃあ、とても読めないなあ。
ごめん。ほんとすまん。カール・ハイド。